fx 勝てない 助けて、と泣いた夜。そこから私の負け癖が抜けた。
泣きながら「fx 勝てない 助けて」と検索した夜のこと
あの夜のことを、いまだに思い出す。
チャートを閉じた瞬間の無音が、いちばんキツかった。
勝てない日って、負けた金額よりも、体の奥がずしんと沈む。
私は机の前で、ただぼんやり光る画面を見ていた。
口の中が変に乾いて、時計の針だけがやけに大きく聞こえる夜ってある。
そういうときはもう、自分の判断力なんて残っていない。
ただ「助けて」という言葉だけが、胸の奥でずっと鳴っていた。
それで私は、そのままキーボードに指を落として、“fx 勝てない 助けて” と打った。
泣きつくみたいな検索だった。
誰でもいいから止めてほしかったし、誰でもいいから理解してほしかった。
…でも実は、あれが転機だった。
あの検索が、私の負け癖を抜くスタートラインになったんだと思う。
そんなドラマチックな話じゃないけど、人生って後から振り返ると、妙に1つの夜に線が引かれていたりする。
負け癖の正体は実力じゃなくて「パターン」だった
負け続けていた頃の私は、自分が下手だから勝てないんだとずっと思ってた。
センスがないとか、理解力が足りないとか。
でも違った。
勝ちパターンより「負け方」が毎回同じだった
客観的に振り返ると、私の負けって、ほぼ同じ構造で発生していたんだ。
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・エントリーが早い
・損切りだけは妙に遅い
・ロット上げるタイミングがズレている
・負けた直後に取り返したくて飛び込む
・時間帯が噛み合ってないのに無理やり入る
こういうクセって、本人は意外と気づかない。
でも、チャートよりも自分の行動ログのほうが、同じ形をしてるんだよな。
毎日負けてるのに、やってる行動は毎回ほぼ同じで。
ほんと、薄いホラーみたいだ。
追いかけると負け、待つと勝つ…薄い真実
勝てるトレードって派手じゃなかった。
ちょっと待って、ちょっと落ち着いて、ちゃん来るべき場所で入ったときだけ、勝てた。
逆に、気持ちがざわついた瞬間のトレードは、ほぼ負け。
ほんとに薄い真実なんだけど、薄いことほど、人は気づけないんだよな。
私が負け癖を抜いたときにやった、たった3つのこと
負け癖を抜いたとき、私は難しいことをしてない。
むしろ、勝ち方よりも「やめる」「減らす」「戻る」を選んだだけだった。
トレードを一度止めた
これが一番効いた。
負け癖って、やめない限りずっと増幅していく。
だから私は、思い切って数日〜数週間、完全に離れた。
チャートを見ない日があるって、こんなに呼吸が楽なんだ… …。
と気づいたとき、自分がどれだけ固まっていたのか分かった。
休むことは逃げじゃない。
負け癖の循環装置をいったん壊す行為なんだ。
「勝てた日だけ」並べてみた
負けた日の分析じゃなくて、あえて勝てた日の共通点を拾った。
すると不思議で、負けた日はバラバラなのに、勝てた日は似ていた。
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・時間帯
・ボラ
・エントリーの位置
・心の静けさ
・ロットの大きさ
負け方はランダムに見えて、勝ち方は結構狭い。
そこに気づいてから、私は無駄なトレードを激減させた。
1日1回だけ負けてもいいエントリーを選んだ
最終的にはこれが効いた。
エントリーを1日1回にした。
負けてもいいやつにした。
この形だけは許すというルールを作ると、チャートが急に静かになる。
トレード数が減ると、逆に勝ちやすくなる。
それもまた、薄い真実だった。
「やめようかな」という反論が一番まっとうだとも思う
正直言うと、「もうFXやめようかな」という感情は、とても自然な反応だ。
むしろ私の感覚では、やめることを考えられない状態のほうが危ない。
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・やめたほうがいい日も確実にある
・努力が成果にならない時期もある
・そもそも向いていない手法もある
・環境や家庭の都合でFXが合わなくなる人だって多い
そんな当たり前のことを、負けている時期は何も考えられなくなる。
心が狭くなるんだよな。
だから私は、「やめようかな」という心の声を否定しない。
むしろいったん受け入れてみると、そこから逆に戻れることもある。
それでも私は戻ってきた。理由は、ただ一つだった
戻ってきた理由は、勝てるようになったからじゃない。
負け癖が消えたからでもない。
もっと静かなものだ。
戻ってもいいと思えたから戻った。
勝つために戻ったんじゃなくて、あの夜の自分を置き去りにしたくなかったから戻った。
“fx 勝てない 助けて” と泣きついた夜の自分に、「もう大丈夫だよ」と言いに行くみたいな気持ちだった。
負け癖はただの現象だ。
生活習慣みたいに、ゆっくり書き換えられる。
だから、私は今もこうして書いている。
その夜の私へ。
そして今、この記事を読んでいるあなたへ。
「助けて」と言えた夜が、いちばん強かった夜なのかもしれない。